記事をまったく書いていなかったので、ツイートするには長い文章を。
前までの記事の文量だと私、一日仕事なんですよね…!
書かないくらいなら書くという心構え。
『ラヴ・シルエットシンドローム』をプレイしての感想
さて、今回は『ラヴ・シルエットシンドローム』
以下、ネタバレありでこの作品の良さを少し話させてください。
(念のために書いておくと、これは私の解釈に過ぎず、作者様がどこまで意図しているのかということはまったく考えられていないということは念頭に置いて頂けますと幸いです。)
ゲーム名:ラヴ・シルエットシンドローム
制作 :糸尾かしか 様
<概要>
恋愛影絵症候群(ラヴ・シルエットシンドローム)。
それは特別に好意を抱いている相手だけが、影絵のように真っ黒に見えてしまうヘンテコな病。
そんな病にかかってしまった主人公!!
どうする明日は憧れのアイちゃんとの初デートだぞ!!
シルエットの彼女といい感じにデートできるのか!?
紹介文から引用。
ここで見られるように既に軽快で爽やか、猪突猛進な雰囲気があります。
本稿ではあえてメインのストーリー云々については語りません。
主軸のストーリーや展開はぜひご自身でプレイされるか、私の配信をご覧ください(流れるような宣伝)。
◆「見えないこと」を書くこと
本作品で私が面白いと思っているのは、あえて情報が制限されることを書いている点です。
一般的にサウンドノベルは、小説などの文章だけの形式よりも視覚情報が多くなります。(文字のグラフィカル性はここでは考慮せず。)
もちろんゲームには背景があり、立ち絵があるためです。
でもこの作品では、その上で、あえて相手が「見えない」ということを書いています。
学校で有名な美少女であるはずのアイちゃんですが、その見た目は影絵のようになり、描写されません。もったいない!
(”もったいない”というのはもちろん冗談です、念のため)
本演出は当然『ラヴ・シルエットシンドローム』がサウンドノベル形式だからこそ面白いわけです。
姿が見えるゲーム形式だからこそ、見えないことを書くのが有効な演出として機能している。
(ここまでは当たり前のことですよね)
ただ、このゲームはその「うまく相手が見えないことを書く」ことが、より全体を通して重要なテーマとして表現されているとも思えるのです。
その象徴たる展開が「おまけエピソード」でしょう。
ここでは、ラヴ・シルエットシンドロームに罹患していないアイちゃんの視点に切り替わりますが、こちらではゲームがグラフィックを排した文章のみの形式で進行されます。
つまり、メタっぽい話になりますが、この形式ではアイちゃん(と、プレイヤー)は、主人公の姿を視覚的に捉えることが出来なくなるのです。
本編では主人公はラヴ・シルエットシンドロームによりアイちゃんの姿、表情が見えずに苦悩します。今どんな表情をしているのか、そしてその外見や振る舞いからどんなことを考えているのかを推察できず、悩んでいる。
一方、おまけエピソードではアイちゃんが主人公を見ることができないのです。
主人公がラヴ・シルエットシンドロームによりアイちゃんの外見が見えなくなったことのちょうど対比として、アイちゃんが相手の内面を理解できないこと、その悩みが視覚情報を廃した形式によって表現されている、と読むことが出来ないでしょうか。
どちらも視覚情報が強いサウンドノベル形式において、あえて視覚情報を省くことを通してなされる表現という点で共通しています。
◆描写すること=愛すること
おまけエピソードは本当に秀逸で、非常に甘酸っぱい素敵なお話に仕上がっています。
それはひとえに、アイちゃんから主人公への関心が描かれているためだと感じています。
先述のように、おまけではグラフィックが排された文章のみの形式で進行します。
ここでは主人公がどうしているのか、どういう行動をしているのかなどは当然、ヒロインが観察して描写しないとプレイヤーも見ることができません。
少しだけ脱線しますが、小説などにおいては、物は書かれることによって始めて現れるという考え方があります。逆にいうと描写されないと、そこには何もないということになる。
(「雨が降ってきた」と書くことで雨が降る。「だから私は傘を差した」と続けると、傘が存在していることになる。)
だからこそ、小説では「描写することは対象への接近であり、愛情である」という考え方があります。つまり興味のないものは書かれず、書かれないものには執着がないということですね。
もうお分かりかと思いますが、おまけエピソードでのアイちゃんというのは、よく見えない主人公のことをよく見ようとする試みそのものであり、だからこそ私たちはアイちゃんの相手に向かう姿勢にいじらしさを覚えるのです。
◆おわりに
分かりづらいところも多々あると思うので、最後にもう一度だけ整理させてください。
この作品では本編で、主人公が外見の見えないアイちゃんのことを理解しようと苦心する様子を描きます。
それはサウンドノベルという視覚情報の強い形式において、あえて影絵でヒロインを表現するという手法をとって「外見の見えない相手=内面の見えない相手」に近づこうとするお話、と捉えることができます。
一方おまけエピソードでは、アイちゃん視点に立って「内面の見えない相手」である主人公を見ようとする試みが描かれます。そしてそれが対比的に「外面を見ることができない」形式によって行われるのです。
この作品はサウンドノベルとなっていますが、その実、あえて一貫して反グラフィカルな表現を通して「相手が見えない」ということを強調して書いていると捉えることができるのではないでしょうか。
そして見えないものを見ようとすること、相手を観察したいと思うこと。
それが対象への愛情だと考えれば、この物語は互いに相手へ向かう愛情を描いた、尊い物語であると考えることができるのではないでしょうか。