庭にはにわ奇譚

フリーゲームVtuberがたまに文章を書くところです。

創作物と批判について

(8/17追記)

コンテストも終わり、時間もたったので自分もだいぶ冷静になりました。怖い記事書いてごめんなさい。

見る人少なくなったタイミングですが、逆に今後はこの記事が独立して読まれることになるんだろうなと思うので冒頭に補足させていただきます。

 

まず本稿の目的は誰か他の方々に何かを要求するものではなく、あくまで私個人の考え方とご理解ください。

また、記事の対象は創作者さんではなく、感想などを投稿するプレイヤーを想定しています。

最後にも追記しましたが、創作者さんそれぞれのスタンスや考え方を否定するものでもありません。こんな気持ちで作ってない、という方には完全に関係のない話だと思います。

さらに特に言っておきたいこととしては「一番大事なのは信頼性」だと思っています。

 

「つまらなかった、投げた」と言う感想から学ぶことがないとも言ってないです。冒頭の引きが弱かったかな、という学びを抽出することも出来るでしょう。でも、相手のことを考えた感想ではないんじゃないかと言う話です。

そこから学びを見いだすのは創作者さんの善意であり向上心ですが、投稿側に善意があればそのような言い方にはならないのでは? とも思ってます。その投稿側の善意、悪意について考えています。

 

 *

 

ゲーム、本当は楽しいーって遊んで終わりにしたい。

 

時事ネタとして後から見たときの配慮せずに記事を書きますが「批判」について。

あまりにも自分の意識と問題が近すぎて反応せずにいられないので、こちらでまとめて書いて終わりにしたいと思います。

もうTwitterで心を荒ませたり長文の怖いお気持ちツイートをするのは嫌じゃ……

 まず<大前提1つ>

それを踏まえて<3つの前提>と<結論>を書いておきます。

後はこの内容についてつらつら書きます。

こういうのは前提を共有するのが一番大事なので、そこが違うと思うなら立場が違うということになります。

 

★大前提

 創作物は「人の心の大事な部分の表出」であると”私は”思っている

★3つの前提

1.身も蓋もないこといえば実態はケースバイケース。批判を苦にしない人もいれば褒められても傷つく人はいます。

2.従って「辛口コメント」「批判」が全面的にダメというのは違います。

3.でも私やあなたが辛口コメントをすることで、傷つく人がいる可能性が高い以上、方法や手段への配慮は必要ではないか。

★結論

 人の心の柔らかい部分には最大限の配慮を持って接した方がよいと思います。

 

それぞれ詳述していきます。

<大前提:創作物は「人の心の大事な部分の表出」である>

これはタイトルのとおりです。人の大切にしているものは丁重に扱うべき、というのは当然ではないでしょうか。当然じゃないの?

もうほとんど言いたいことはここに尽きるので、一番長くなります。

 

単なる配信者が「創作」について話すのも恐縮なので、筆者についても少しだけ触れておきます。自分はゲームは作らないですけど10年以上音楽をつくり小説を書いてきました。

あんまり真剣に取り組んでいないからか、そこまで自作愛の強いタイプではないかなと思います。他の方が作ったものの方が好き。

それでも、自分でさえ創作物には少なからず大切な感情や信条を含めています。

況んや創作活動をもっと楽しみ、真剣に取り組んでいる人ならどうか。

生活の中で苦しみ、それを精神活動である創作行為で癒して、なんとか生きている人だっているかもしれない。少なくとも私の周りではそういう方も多く見てきました。

あくまで経験からくる想像と仮定に過ぎませんが、「創作物」とは生存やアイデンティティと隣接しているナイーヴなものである可能性が高い以上、取り扱いは最大限注意が必要だと思っています。

 

そして、フリーゲーム(などの個人制作)の場合は特に、作品を公開しているのは私たちと同じ一個人です。

軽率な一言が、画面の向こうの一個人の、心の柔らかい部分を撫でているかもしれないことは常に意識すべきだと考えます。

 

「作品」は公開された以上、どのような評価もされる可能性があり、誰でも評価をする自由があるという言説があります。

それは、もちろん否定できません。

そうかもしれないですけど、個人的には「評価をする」ということの重大さを評価する側が無自覚であるケースも多いように思ってしまいます。

決して軽んじているわけではないのですが、ゲームを遊ぶのも、ゲームを作るのも、楽しいという気持ちを得たい、趣味なわけで。

無料でゲームを公開しているなんて、作るのが楽しいとか、お金ではなく作らざるを得ないモチベーションがあるほど重大か、なのかなと推察します。

どちらのケースでも、他人の大切なモチベーションや楽しい気持ちがあるわけですよね。それがどれだけの重大さがあるのかは、人それぞれかもしれないけど。

そういう楽しい気分を害することって、本当に本当に重大なことなんじゃないかと思ってます。

 

「改善・要望」の話は下の方で触れます。

 

 

★3つの前提

ほとんど言いたいことは言ったので後はもう少し軽いです。

感情的な文章にお付き合いいただきありがとうございます。

1.身も蓋もないこといえば実態はケースバイケース。批判を苦にしない人もいれば褒められても傷つく人はいます。

2.従って「辛口コメント」「批判」が全面的にダメというのは違います。

3.でも私やあなたが辛口コメントをすることで、傷つく人がいる可能性が高い以上、方法や手段への配慮は必要ではないか。

個人制作物に接するのは、普通に人間と接するようにすべきだと思います。

じゃあ、例えば改善・要望があったら。どうしても指摘したいことがあったら。それも何も言わない方がいいのか?というとそれはもちろん違って、結局は「手段」「方法」などの配慮だと思うんです。

 

普通に会社勤めなのでその例で話してしまうんですが、部活とか何かのコミュニティに置き換えてもらっても大丈夫だと思います。

一緒に働いている人、活動している人に何か注意したいことがあった場合とかって、周りの人に聞こえないように配慮したり、実生活ではするじゃないですか。

「打ち合わせの時のあの態度良くないよ」とか、周りの人に聞こえる位置で大声で話してしまったらその人が恥ずかしい思いをするし、必要以上に辛い思いをする。

だから喫煙所に連れてったり(自分は非喫煙者だけど)、二人きりになったときにやんわり伝えたりしませんか。

あえて誰の目にも触れる形で強い指摘をするのは、私には敵意や悪意を含んだ攻撃に見えてしまうことが多々あります。

 

個別連絡できる場所がなく、公開掲示板でしかお伝えできないこともあるかもしれませんが、その場合は公の場所となるわけですから、より一層言い方には気をつけたほうが良いんじゃないかなと個人的には思います。

「悪意や敵意」を含んだ指摘は周りから見たら丸わかりだと思うんですがどうでしょう。

 

★結論

誰かの創作物に触れるというのは、人の心の柔らかい部分に触れることである可能性がある以上、できるだけ配慮を持って接した方がよいと思います。

 

私も間違えることや、見当違いの配慮をすること当然あると思います。

でも少しでも創作者も、その受け手も、楽しめる/救われる世界になってほしい。私のエゴです。

 

<追記>

なんか致命的な誤解を生んでいるかもしれないと思ったので補足させてください。

「”私が”創作者を救いたい」なんて一言も言っていないです……

「”創作が”人を救うものであってほしい」という話をしているのであって、主語がまったく違います。。

 

最後の一文の「楽しめる/救われる世界をつくりたい」が誤解のタネかと思ったので「世界になってほしい」と書き換えました。これは私の願いです。

 

以上