『第12回ウディコン』について
今さらながら一言。
当時はVtuber活動はじめたばかりで、生配信の経験もほとんどなかったのでギリギリまで12回ウディコンへの関わり方は悩んでいました。
裏で全作品プレイ、とかかなぁと思っていたんですが、今となってはYouTubeから参加することにして本当に良かったです。
良い思い出ですし、大事な繋がりをたくさん得ることができました。
改めて皆さんに御礼申し上げます。
たっくさんありますけど、以下の再生リストから気になるものだけでもご覧頂けたらうれしいです。
『Do you think I am a witch possessed?』をプレイしての感想
さて、今回語りたいのが第12回ウディコン応募作品の
『Do you think I am a witch possessed?』
以下、ネタバレありでこの作品の良さを少し話させてください。
ゲーム名:Do you think I am a possessed?
制作 :霎R(れいん)様
<概要>
このゲームは、魔術学園に通う6人の少年少女が、課外授業中に迷い込んだ奇妙な館からの脱出を図るアドベンチャーゲームです。
多少ノベル要素もある、ストーリー主体の探索ゲームとなっております。
Read meから引用。
脱出ゲームほどではないですが、謎解きの難易度はなかなかなもので、うーんと考えて さくっとクリアできる適度な難易度です。
この手のゲームなのにホラー要素がないというのもフリゲからすると珍しいですね。自分は凄く好きでした。
そして大好きなゲームなのであえて言わせていただきますが、このゲームの最大のポイントは「ストーリー主体の探索ゲーム」の部分です。
ここは実際にプレイされた方の中でもかなり評価が分かれたみたいですね。内容にではないです。
このゲーム、ストーリーが主体なのに、普通にさらっとクリアしただけではほぼストーリーが見られない。
第12回ウディコンの投稿された本作品の感想を引用します。
通常EDが一番後味が悪く感じられ、門前払いされたような気分になってしまう。せっかくのキャラクターの良さが1割も発揮されないまま多くの人がクリアになってしまったのではないだろうか。そこが勿体ないと思う。
ストーリーは、魔術学園の生徒たちが突然謎の館に閉じ込められて脱出を図るというもの。タイトルの通り、魔女に関する謎解きが多く仕掛けられているのが特徴。自分のプレイ内では閉じ込めた犯人は分からなかったが(あるいはどこでも語られてないかもしれないが)
後者の方などはこれだけしっかりとした文章を書ける方。そんな人でも、この作品をしっかり最後までプレイするということは簡単なことではなく、難易度もなかなかあることから通常クリアをして終えるということが十分考えられる作品になっています。
実際プレイした私も上記の方々の気持ちはよくわかるし、同意します。
そう、この作品の真相/真髄は比較的条件の厳密な各キャラの個別EDまでたどり着かないと見えてこないのです。
ゲーム的にはもしかしたらこれらは褒められた点ではないのかもしれないです。
プレイヤーをゲームに引き留めるためには、面白いゲームシステムやストーリーの引き、キャラクターの魅力など様々な要素を制作者さん方が駆使されることでしょう。
このゲームでは謎解き自体は面白く最後までプレイヤーを牽引しますが、ストーリーやキャラは逆にやり込んだ先にしか見えてこない。
そして謎解き自体はクリアしてしまい通常EDを見たら、このゲームを手放してしまう人もいるでしょう。
ただ本稿の主題は、こういったある種不親切と思える要素が本作品のテーマと結びつき、魅力となっていることを証明したいということになります。
小説や映画ではこういう主張は間々ある(読みづらい、観づらいと思われる部分が演出上どう有効に作用しているか)のですが、フリーゲームでは珍しいかもしれないと思い筆を執っている次第です。
◆本作品のテーマについて
さてこの作品のゲーム的な特徴についてここまで触れてきました。ここからは内容に入っていきましょう。
魔女憑きって知ってる?
恐ろしい魔女が、人に取り憑いて狂わせるって話。
テオ「・・・くだらねぇ 魔女なんているわけねえだろ」
リオン「魔女は実在したんだよ 歴史の授業でやったじゃん」
(中略)
リオン「なんでも悪魔と同化して人じゃなくなった魔女は」
リオン「今もどこかに隠れて、世界を滅ぼそうと狙ってるって話だよ」
(中略)
コウ「・・・なんで今そんな話を・・?」
リオン「このメンバーで話したら面白いかなーと思って」
上記ゲームのOPから引用。
冒頭のあらすじのとおり、魔法という概念が存在する世界ですが、300年前の魔女戦争でいわゆる「魔女」という存在はいなくなっているとのこと。
ただ、そんな雑談をしながらやってきた課外授業でこの少年少女らは、謎の館に閉じ込められることになります。
誰が何の目的で閉じ込めたのか? そして進むにつれて館の仕組みが対魔女憑き用になっていることから、誰かが自分たちの中に魔女憑きがいると疑っているのではと疑念が湧いてきます。本当にいるのか? 誰が魔女憑きなのか? と訝しみながらプレイヤーもゲームを進めることになります。
これがストーリー的な引きの部分ですね。
ここから正真正銘ネタバレになってしまいますが、
少年少女たちがこの館に閉じ込められたのは、実は主人公たちの計画であり、彼らがこのメンバーの中に潜んでいる魔女憑きを探していたというのがメインストーリーになります。
このEDにたどり着くためには、各キャラの個別EDを見ていく必要があります。
メインストーリーの結論から言えば、天下無双の男の娘キャラ、この作品の正ヒロインのリオンちゃんこそが魔女と契約した世界を脅かす魔女憑きだった、ということになるわけです。
(これがまたこの作品からすると面白いんですよね。)
可愛い。
さて、上の感想でもあったなかなかたどり着けない個別EDですが、その到達には作品の中で何度か示される選択肢が重要です。
ひとりのキャラクターと関連する選択肢だけを選び続けていく、ということですね。(キャラ個別EDがあると知っていればこれは出来るかな?)
そして、メインストーリーの結末=リオン個別EDとなっているように、このゲームは個別EDまで見ることで通常ではたどり着けない作品の深奥に触れることができるのです。
しかし、上述で紹介したメインストーリーはあくまで本稿においては背景にまで後退します。
この作品の本質はまさにキャラ個別EDに象徴される、キャラ個別のバックグラウンドと”魔女憑き”のモチーフの連関にあります。
この作品における”魔女憑き”という言葉は、歴史の中で2つの意味があることが作中で明記されます。
1つは300年前、魔女と戦争をしていたとき、魔女に乗っ取られた者のこと(語源)。
もう1つが、そのとき乗っ取られた者が奇妙な行動をしたことから他の人と異なる行動を取る者のことです。
戦争時、魔女に精神を操られたものが異常な行動に出たことから、異常な行動をする者は魔女に取りつかれているのだという俗説が広まったのだ。
奇怪な行動をとるもの、人と変わっている者は、魔女憑きと呼ばれ、差別されるようになった。
上記は作中の魔女憑きの歴史を記した書籍からの引用です。
この物語は、この魔女憑きのダブルミーニングが肝になっています。
ここで集められた者たちはみな複雑なアイデンティティを抱えていることが、個別ルートに分岐することで初めて判明してくるのです。
偶然か必然かこの主人公達の魔女憑き探しの計画が彼らの後者の意味で”魔女憑き”と呼ばれてきた過去に触り、彼らは隠されたバックグラウンドと向き合うこととなります。
例えばテオとリリー。
リリーはどちらかというと周りとうまくやっていく協調性を兼ね備えたお姉さん系のキャラ。対してテオは背格好の小さな不良少年といったようなキャラです。
ただ、個別ルートを進めていくとそれぞれのキャラの印象は変わってきます。
リリーは、過去”女ながら”ガキ大将として暴れまわっていましたが、そういった行動に対して気に入らないと思っていた者らが魔女憑きという風評を流し、その経験から今では女の子らしく周りと話題を合わせて女性らしさを演じています。
対してテオは、身体の性別上は実は女性であるが、自分の素を貫いて女性らしさのない振る舞いを行っていたことが分かります。
上の繰り返しになってしまいますが、『Do you think I am a witch possessed?』は「魔女憑き探し」を通して、このような他人と違うことで迷ってきた(”魔女憑き”と差別されてきた)少年少女たちの心の柔らかい部分に触れていくのです。
私が言いたいのは。
こういう人間の最も繊細な部分に触れていくことが簡単になされてよいのか、ということなのです。
この作品のメインストーリーは前述のように本来の意味での魔女憑きを見つけ出すという主人公達の計画です。
その中で、大多数の少年少女たちは”魔女憑き探し”というストレス状況におかれることで自分自身の過去を突きつけられ、半ば巻き込まれた形でアイデンティティを自白せざるを得ない状況まで追い込まれていっていると言えるでしょう。
この作品の本質、最も面白い部分はキャラクターの内面である一方、その自白を強要する機構はこの作品にはありません。
極論かもしれませんが、フィクションであっても私は物語上の面白さのためにこういう告白を規定の流れとして備えていないことを支持したいと思っています。
漫然と遊んでいてはこういった部分を見られなくて当たり前だということです。
この作品においては、プレイヤーの選択という意思を持ってその者との距離を詰めようとするアクティブな介入だけが、彼ら/彼女らのパーソナリティ、アイデンティティに触れるための鍵となるのです。
そして、そのような意思を持ってゲームに触れることがキャラクターたちの深奥に触れることに繋がるという体験を提供してくれること。
そういう反応を返してくれる仕組みは、このゲームの描いている”魔女憑き=被差別”というテーマと非常に高い連関があると私は思い、本ゲームの構造を評価しています。
◆おわりに――あなたは私を魔女憑きだと思う?
ここまで見ていくと、タイトルの文言が非常に豊かな感情的な響きを持っていると感じられませんでしょうか。
最後の謎解きの魔女憑き当てゲームの後の問い。
「あなたは私を魔女憑きだと思う?」(Do you think I am a witch possessed?)
この作品のタイトルは「人狼ゲーム」こと「汝は人狼なりや?」が元ネタになっていそうですが、大きな違いがあります。
「汝は人狼なりや?」はあくまで相手を疑う主体が表面に出てきます。言うなれば、人狼に対してこちらから語りかける疑いの形。
対して、本作品ではキャラクターがこちらに問いかけてきます。あなたはどう思いますか? と。
「おわりに」の直前に書きましたが、この作品はあくまでプレイヤー自身のアクティブな物語への介入こそが重要な作品になっていました。
そうであればこそ、この問いかけの意義や切なさのようなものを感じ取れるような気がしませんか。
「あなたは魔女憑きか?」と私が疑うのではないのです。
本作品では問いかけられます。「あなたは、私を魔女憑きだと思う?」
あなたはどう思いますか?