「実況プレイ」が好きで自分もやらせていただいているわけですが、あまりこれ自体を語っている人を見たことないので書いてみます。
歴史的な話とか、個人名にまつわる話ではなく、あくまで実況というジャンルの持つ意義について考えてみます。
1.実況プレイのメリットについて
2.「作品を受け取る」という”能動的な”行為について
2番はオマケです。
1.実況プレイのメリット――冗長で詳細な形式
ほぼ結論に近いのですが、私は以下の2点を実況プレイの特長だと捉えています。
①感情をリアルタイムに表明できること
②(あまり)場面を切り取らずに全編にリアクションできること
レビューや感想記事など、事後に文章に起こすことを行った場合、あくまでも「作品全体を見た立場」からの言葉になります。
一方で実況プレイでは当然「目の前で起こったこと」に対してリアルタイムで感想を表現していく。
前者のメリットとしては作品の要点をかいつまみ、整理して感想を表現できること。要点を掴んだり、しっかりとまとめた文章は他の人も見やすいですよね。
後者の実況という形式は、要点をかいつまむとかいう概念とは対照的です。
相づちを打ちながら、時にはセリフを下手に音読しながらゆっくりと作品を見ていく。整理からはかけ離れた非常に冗長なやり方。
ただ、冗長ですが、だからこそ感情の動きや考えを膨大に表現することができる。
作品を楽しむとき、当然「受け手は作品を先頭から順番に見ていく」ことになります。
私はこの「」の部分を実はすごく大事にしています。
作者目線で言えば「作者さんがプレイヤーにどういう心の動きをさせたいと思ったのか」
プレイヤー目線で言えば「プレイヤーは一連の流れでどういう心の動きをしたのか」ということです。
「演出はあくまで流れとして表現される」というのが自分の主張としてあります。
「最初は憎たらしいと思っていたキャラが、実は誰よりも自分のことを大事に想っていてくれた」みたいな演出を例にとって考えてみます。
全てを知ってしまった立場からは、この前半の「憎たらしいと思っていた」部分への記述が弱くなってしまいやすくなるきらいがあるように思っています。
物語の意味合いとして重要なのも、心に残るのも「実は~」以降なのでそれは当然だと思います。むしろそぎ落とすべきであることが多いはず。
でも演出は流れであり、前半の部分がきちんと機能しているかどうかも同じくらい重要なのではないか。
そしてそれが機能しているかどうかは、「実は~」以降を知らない時点のプレイヤーがどう思っているのかをしっかりと感想として吐き出さないと本当には見えてこない。
こういう、文章で書くときにはそぎ落とすべき部分を、実況プレイでは見ざるを得ません。そして逐一リアクション、感想を伝えていく。
要点をかいつままない、先頭から愚直に作品を追い、順番にコメントしていくという形式だからこそ、よりリアルにゲームプレイを伝えることができる。
実況プレイの「プレイ中の心の動きを常に描写することができる」ことは他との明確な差別化であり、私が実況プレイを優れた感想・レビューの形式のひとつだと思っているポイントでもあります。
だからこそ私は、自分の感想や心の動きを小うるさいほどに喋るようにしています。それが自分の信じる実況動画だから!
このあたりの「演出は流れだ」とか「実況プレイはリアルタイムに感情を表現できる」とかの話は以下の『ゆめにっき』配信で語っています。実例だと思うのでよければぜひ併せてご覧くださいませ。
(あと『ゆめにっき』がすばらしすぎますので私の熱い語りを聞いてほしい)
https://youtu.be/91lN315Cd1A?t=2140
(なお私は他の人の実況をみるときはこんなこと考えておらず楽しいか楽しくないかでだいたい見てます。そんなもんだよね)
2.「作品を受け取る」という”能動的な”行為について
繊細なお話なので予防線マシマシで。
まず、実況プレイは上でも書いたようにあくまで感想・レビューの形式のひとつなわけで、主となる作品に従属するものです。あくまで作品ありき、創作してくださった方ありきであることは大前提としてください。
その上で「作品を受け取ること」というのもひとつの立派な創作活動のひとつだと自分は信じています。自分で言うことじゃないんですけどね。
受け手は作品を「楽しまされる」わけでも「受け取らされる」わけでもなく。
主体的に、能動的に、自分の意思と感性で作品を「楽しみ」、「受け取る」ことが出来る。
前の記事でも書きましたが、ゲームプレイというのは「作品(作者)」と「プレイヤー」との共同作業でつくられる体験だと思っています。
interactivityーーゲームプレイは、ゲームとプレイヤーの“間”にある - 庭にはにわ奇譚
相互に尊敬を持っていけるようにしたいというのがひとりのプレイヤーとしての想いです。
ただそのためにはプレイヤーは無責任に作品を受け取るのではなく、創作者が責任を持って作品を渡してくれているものを、極力真摯に受け取ることが必要ではないでしょうか。
たとえ話が好きなのでそれっぽくまとめてしまいますが、
おいしく作ってもらった料理を味も感じようとしないで雑に食べてしまったら料理人は良い想いをしないでしょう。
よく味わい、料理を大事にしようと心がけることで、食事の場は豊かになるのではないでしょうか。食事の場は、料理だけでも、客だけでも成立することのないものです。
必要以上に自分の立場を卑下することなく、創作好きな人がみんな幸せになるといいなぁと思います。